酒飲み四十路独女の雑記帳

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【日帰り旅】国宝「犬山城」へ行ってきました!

四十路なのに、初めてです。

さぁ、今日もお城に行くぞ! ということで向かったのは、国宝「犬山城」。

愛知県に住んでいながら、実は行くのは初めて。

愛知県犬山市は、他にも「明治村」「リトルワールド」「モンキーパーク」「お菓子の国」など、さまざまな観光スポットがあるんですが、

それらにはすべて行ったことがあるくせに、犬山城は初めて。

…こういうの、地元あるあるじゃないですか? 近すぎて逆に? 行かない的な。

ということで、デビュー戦です。

 

国宝「犬山城」へ着きました!

名古屋市から車で60分弱。

さすが人気の犬山城。平日なのに、けっこう混んでました。

国宝犬山城

国宝犬山城

国宝犬山城

★国宝「犬山城」とは★

織田信長の叔父・織田信康が岩倉織田氏の砦を改修して築いた城。

その後、池田恒興織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修した。

また、小牧・長久手の戦い関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。

江戸時代には中山道と名古屋道に通じ、木曽川による交易の要衝として栄えた。

江戸時代までに建造された「現存12天守」のひとつ。

また、天守が国宝指定された5城のうちのひとつ。

国宝犬山城

 

もちろん天守閣も登りました。

階段がキッツい。手すりを最大限に使って上る四十路(笑)。

頂上からの眺めは絶景でしたが、若干の高所恐怖症の私には、ちょっと怖かった💦

岐阜城の時もそうでしたが、川の流れがある風景はきれいですね。

国宝 犬山城

 

そして無事に、御城印も信長の野望出陣の名城登録も、ゲットしましたよ!

信長の野望出陣 名城登録 犬山城

名城登録は、日付が入るのが御城印みたいでかっこいいですよね。

 

 

 

 

日本庭園「有楽園」 国宝茶室「如庵」へ

犬山城から徒歩3分(体感です)ぐらい? のところにある「有楽園」。

犬山城 有楽園

★有楽園とは★ ★如庵とは★

昭和を代表する建築家、堀口捨己氏の監修によって築造された日本庭園。
苑内には、国宝茶室「如庵」、重要文化財「旧正伝院書院」、古図により復元された「元庵」、茶会のために建てられた「弘庵」などがある。

如庵は織田信長の弟、織田有楽斎が京都の建仁寺に創建した茶室。

昭和11年(1936)に国宝の指定をうけた。

京都山崎妙喜庵内の待庵、大徳寺龍光院内の密庵とともに、現存する国宝茶席三名席のひとつ。

 

織田有楽斎とは★

織田信長の弟の一人。信長とは年齢が13歳離れており、前半生の事歴はあまりわかっていない。

本能寺の変の際は、御所を脱出し、近江国安土を経て岐阜へ逃れ、甥の信雄に仕えた。

小牧・長久手の戦いでは信雄方として徳川家康に助力。戦後家康と羽柴秀吉の講和に際して折衝役を務めている。

豊臣姓を下賜され、信雄改易後は、秀吉の御伽衆として2000石を領した。この頃、剃髪して有楽と称す。

姪の淀殿とは庇護者として深い関係にあり、鶴松出産の際も立ち会っている。

関ヶ原の戦いでは東軍に属し、総勢450の兵を率いて参戦。石田家臣の蒲生頼郷を討ち取るなどの戦功を挙げる。

関ヶ原の戦いの後も豊臣家に出仕を続け、淀殿を補佐した。

このころ建仁寺の子院・正伝院を再建し、院内に茶室・如庵を設けた。

大坂冬の陣の際にも大坂城にあり、穏健派として豊臣家を支える中心的な役割を担った。冬の陣後、治長と共に和睦を締結させるが、大坂夏の陣を前にして、家康・秀忠に対し、「誰も自分の下知を聞かず、もはや城内にいても無意味」と許可を得て、豊臣家から離れた。

大坂退去後は京都に隠棲し、茶の湯に専念し、趣味に生きた。

 

日本庭園はよいですね。歩いているだけで、清々しい気分になります。

犬山城 有楽園

 

如庵のすごさは、まだいまいち理解できていませんが、現存茶室というだけで、タイムスリップ気分が味わえました。

犬山城 有楽園 如庵

 

お城を満喫しました!

出発前は、どこかほかの城にも、なんて思ってましたが、出発が遅かったこともあり、この日は犬山城で終了。

それでも、満足度の高い1日になりました。

さすが犬山というべきか、城下町も含め、観光スポットとして完成されているカンジでした。

いつか犬山城のすぐ近くのホテルインディゴ犬山有楽園とかに泊り、大人の時間を過ごせるような人になりたいです。