酒飲み四十路独女の雑記帳

新しいことを始めたいと思い、ブログを開設!日々の雑談(仕事の話や、日常小話) や、日々の購入品の話(40代向けのおすすめ記事)や、お酒の話(日本酒を中心に、日々の晩酌)や、競馬や競艇の話(好きなだけで全くの素人)や、たまーに旅行の話(基本出不精)など、思いつくままに進めていきます。

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【日帰り旅】戦国武将「福島正則」の足跡を辿る

お出かけ日和です!

今年の冬は寒くない。

せっかくだからどこかお出かけしようかなぁと、名古屋の納屋橋へ。

 

昼ビールは最高です★

久しぶりに納屋橋へ来ましたが、おしゃれな建物が建っていることにびっくり。

いや~、おばさんあるあるですね。

記憶が10年前で止まっているカンジ。

どのお店に入ろうかな、と悩んだ結果、テラッセ納屋橋へ。

 

ランチはいろいろあって目移りしましたが、数量限定「漢ランチ」にすることに。

サーモンと海老と日本酒 大衆居酒屋てっぺん 納屋橋

※写真の角度がうまくいかず、ビールが入りませんでした。

 

特に美味しかったのが、鮭の塩焼きとお味噌汁!

鮭の塩焼きは、これでもかっていうぐらいジューシー! 

頭の部分も身がほろっと離れて食べやすかったです。

お味噌汁は、何とも言えないですが、お出汁がじーんとしみる味

でも、出汁じゃなくて、味噌が変わってるのかな?

あっさりして、美味しいお味噌汁でした。

 

美味しいご飯に、昼ビール。

至福の時間ですね。大満足。

 

戦国武将・福島正則に会いに来ました。

さて、そもそもなぜ納屋橋へ来たのかというと、戦国武将・福島正則に会うため。

福島正則像 納屋橋 堀川

福島正則とは★

永禄4年(1561年)、市松(幼名)は尾張国海東郡二ツ寺村(現・愛知県あま市二ツ寺屋敷)で福島正信(正光)の長男として生まれた。(※義父という説もあり。)

母は、豊臣秀吉の母(のちの大政所)の妹(秀吉の叔母)にあたる人物である。

少年に成長すると、母を通じた縁で秀吉の小姓になる。

天正6年(1578年)、播磨三木城の攻撃で初陣を飾る。

天正10年(1582年)、山崎の戦いにおいて、勝龍寺城を攻撃するなどし、軍功をあげる。

天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いにおいて、一番槍・一番首として敵将・拝郷家嘉を討ち取るという大功を立てる。

 

どうして、納屋橋福島正則像あるのかというと、それは彼が「堀川」を作ったから。

 

★堀川とは★

江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として開削された。

伊勢湾から名古屋城付近まで開削され、現在は名古屋のほぼ中心部を南北に貫いている。

その後、明治初期において庄内川からの取水を開始。

堀川の一部の区間は、その経緯から黒川とも呼ばれ、流域の地名「黒川本通」にもなっている。

 

もちろん堀川は知っていましたが、福島正則が作っていたのか、と勉強する四十路。

ちなみに、福島正則像があるのは、全国でここだけらしい。

 

ちなみに奥には、「堀川クルーズ」の乗船所があります。

乗ったことはないけれど、いつかチャレンジしてみたいです。

 

 

 

せっかくだから、福島正則の足跡をたどる。

お昼ご飯を食べ、まだ時間があったので、生まれ故郷の愛知県あま市へ行くことに。

天気もいいので、お散歩日和です。

 

☟生誕の地

福島正則生誕の地 愛知県あま市

目立つところではありませんが、キレイに手入れされている印象。

近くには「正則小学校」もありました。地元の誇りなのかな? 愛を感じます。

 

甚目寺観音

甚目寺観音

甚目寺観音 南大門 仁王像 福島正則

甚目寺観音は、尾張四観音の筆頭。

南大門にある仁王像は、福島正則が寄進したものです。

 

菩提寺 菊泉院

菊泉院 福島正則菩提寺

菊泉院 福島正則菩提寺

供養塔は、2003年の建立。やっぱり愛されてるなぁ。

 

充実した1日になりました!

昼酒に社会見学?に、充実した1日になりました。

お休みが充実すると、明日からも仕事頑張ろうかなぁ、みたいな気分になりますね。

この気持ちが1週間消えませんように!