ご飯を食べたら、「野間大坊」へ
☟旅の前編はこちらから。
相変わらず天気は雨ですが、「納屋」から「野間大坊」は目と鼻の先。
ここは行くしかあるまい、とお参りすることに。
★野間大坊とは★
「野間大坊」として知られているが、正式には「鶴林山大御堂寺」であり、本尊は阿弥陀如来。
歴史は古く、天武天皇の時代に建立される。
平安時代の末期、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝の最後の地であり、境内には墓がある。
源義朝の嫡男であり、鎌倉幕府をひらいた源頼朝が寄進した念持仏を本尊とし、豊臣や徳川の庇護を受けた。
境内の地図を見たら、あちこちに駐車場が用意されるぐらい、広いお寺でした。
が、あいにくの雨。
あちこち回るのも難しかったので、目的地のみ行ってみることに。
まずは、本堂をお参り。
雨の日の月曜日にお参りする方はおらず、貸し切り状態。
ラッキー、なのか?
するとなんと、武将印が販売されているではありませんか。
これは買わねば、と「源義朝」と「織田信孝」と「水野信元」を購入。
……他にも源頼朝や静御前とかいろいろ節操なく(☜失礼すぎる)売ってましたが、
この地の縁の方に厳選し、購入しました。
御城印だけでなく、武将印まで手を出すと、果てしないよなぁ。
お墓参りをします
まずは、源頼朝公。
広い境内なので、どこにあるのか迷いましたが、立派なお墓がありました。
雨だったので軒下から撮ったため、なんか変ですが……。
平治の乱で平清盛に敗れた後、家臣を頼り野間の「大御堂寺」へ。
その家臣の裏切りに合い、野間で殺されてしまう。
謀反の際、「我に木太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん」と無念の死をとげたため、木太刀が奉納されている。
四十路独女も、奉納しました。
1本500円。自分の祈願を書いて、お墓にお供えします。
そして、その隣には、織田信孝公。
「信長の野望 出陣」で登用した後、一気に親近感がわく四十路独女。
賤ケ岳の戦いで柴田勝家が豊臣秀吉に敗れたのち、秀吉は、信孝の実兄信雄に岐阜城を包囲される。
その後、信雄の命令によって、信孝は自害させられる。
以下は、『太閤記』『勢洲軍記』に残る、辞世の句。
昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前
やっぱり雨が残念でした
この後「血の池」なども行ったんですが、雨がひどかったため、じっくり見ることもできず。
また晴れの日にリベンジしたいなぁ、と思いながら帰路につきました。
知多半島グルメはまだまだあるので、それとセットでまた行きたいと思います!