酒飲み四十路独女の雑記帳

新しいことを始めたいと思い、ブログを開設!日々の雑談(仕事の話や、日常小話) や、日々の購入品の話(40代向けのおすすめ記事)や、お酒の話(日本酒を中心に、日々の晩酌)や、競馬や競艇の話(好きなだけで全くの素人)や、たまーに旅行の話(基本出不精)など、思いつくままに進めていきます。

MENU

【日帰り旅②】知多半島「野間大坊」へ行ってきた!

ご飯を食べたら、「野間大坊」へ

☟旅の前編はこちらから。


相変わらず天気は雨ですが、「納屋」から「野間大坊」は目と鼻の先。

ここは行くしかあるまい、とお参りすることに。

 

大御堂寺 野間大坊|源義朝公最期の地

野間大坊とは★

愛知県知多郡美浜町にある真言宗豊山派の寺院。

野間大坊」として知られているが、正式には「鶴林山大御堂寺」であり、本尊は阿弥陀如来

歴史は古く、天武天皇の時代に建立される。

平安時代の末期、平治の乱平清盛に敗れた源義朝の最後の地であり、境内には墓がある。

源義朝の嫡男であり、鎌倉幕府をひらいた源頼朝が寄進した念持仏を本尊とし、豊臣や徳川の庇護を受けた。

 

境内の地図を見たら、あちこちに駐車場が用意されるぐらい、広いお寺でした。

が、あいにくの雨。

あちこち回るのも難しかったので、目的地のみ行ってみることに。

 

 

まずは、本堂をお参り。

野間大坊 知多半島

雨の日の月曜日にお参りする方はおらず、貸し切り状態。

ラッキー、なのか?

 

するとなんと、武将印が販売されているではありませんか。

これは買わねば、と「源義朝」と「織田信孝」と「水野信元」を購入。

……他にも源頼朝静御前とかいろいろ節操なく(☜失礼すぎる)売ってましたが、

この地の縁の方に厳選し、購入しました。

 

御城印だけでなく、武将印まで手を出すと、果てしないよなぁ。

 

 

 

お墓参りをします

まずは、源頼朝公。

広い境内なので、どこにあるのか迷いましたが、立派なお墓がありました。

野間大坊 源義朝

雨だったので軒下から撮ったため、なんか変ですが……。

源義朝野間大坊

平治の乱平清盛に敗れた後、家臣を頼り野間の「大御堂寺」へ。

その家臣の裏切りに合い、野間で殺されてしまう。

謀反の際、「我に木太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん」と無念の死をとげたため、木太刀が奉納されている。

 

四十路独女も、奉納しました。

1本500円。自分の祈願を書いて、お墓にお供えします。

 

そして、その隣には、織田信孝公。

野間大坊 織田信孝

信長の野望 出陣」で登用した後、一気に親近感がわく四十路独女。

信長の野望 出陣 織田信孝

織田信孝公と野間大坊

賤ケ岳の戦いで柴田勝家豊臣秀吉に敗れたのち、秀吉は、信孝の実兄信雄に岐阜城を包囲される。

信孝は長良川を下り尾張の国知多郡野間(愛知県美浜町)へ。

その後、信雄の命令によって、信孝は自害させられる。

以下は、『太閤記』『勢洲軍記』に残る、辞世の句。

 昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前

 

 

やっぱり雨が残念でした

この後「血の池」なども行ったんですが、雨がひどかったため、じっくり見ることもできず。

また晴れの日にリベンジしたいなぁ、と思いながら帰路につきました。

知多半島グルメはまだまだあるので、それとセットでまた行きたいと思います!